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「英語化は愚民化」施光恒

こんばんは。この頃、急に寒くなりましたね(>_<)まぁ12月なんで本当はこんなもんなんでしょうが、今までが暖かかった分堪えます。笑 先日、インフルエンザの予防接種も受けましたが、風邪をひかないように気をつけないと!

 

 さて、勝手に本の紹介No15です。

タイトルに惹かれて手に取った一冊。英語の第二供用語化、もっと大きく言えばグローバル化へ警鐘を鳴らしている。
私自身は、英語の勉強に興味があり、英語を話せたらいいなぁ(ってか必要な時代が来るんだろうなぁ)っと思っていた。著者は英語の勉強をすることを否定しているわけではない。母国語(日本語)を差し置いて英語を中心として社会構造にすることを危惧している。英語を中心とすることは、経済的・知的格差を生むとともに、日本のオリジナリティや良さを失うだけでなく、英語圏(アメリカやイギリス)をトップとする資本主義社会(格差社会)へ文化的にも取り込まれることである。英語をあまり話せない日本(ここでは一部のエリートの話ではない。一般の人々が話せないという意味)は、勝てない格差社会の中で、国力が落ちていくだろうと書かれている。
読み始めた時は、母国語を英語に置き換えるのには、著者が言うように賛成はできなかったが、「英語化は格差を生む」という理論には違和感を覚えた。確かに格差は生むので間違っていない。しかし、資本主義の現代社会において、格差があるのは当たり前ではないのか。英語化することで日本内の格差が広がるという理論には抵抗がある。そもそも日本が豊かな経済大国であるのは、貧しい国があるからではないのか?国内の格差はあってはならないが、世界での格差は良いのか?英語を学んで、海外へ進出するということは、格差のある世界で上位に位置するため(現在の経済的有利を保つため)には仕方がなく、何もしないでいると世界の発展から取り残されてしまうし、世界の中で経済性有利を保とう(経済的に発展しよう)とするなら、英語という第2の言語は重要な意味を持つと考えていた。
しかし、後半の部分を読むと、その考え方自体が狭い視点に立っていることに気づかされる。著者の主張は、英語圏主導のグローバル化への警鐘なのである。英語化はアメリカ・イギリスによる戦略であるという話にはとても引き込まれる。グローバル化の影にある新自由主義は世界を単一化し、地域の特性を奪ってしまうことである。大きな世界という工場で、英語を話せる人々(英語を母国語とする国)が頂点となり、世界を回していく。英語化によって特性やオリジナリティを失った非英語圏の人々は、労働階級(悪く言えば支配される側)として生きていくしか方法がなくなってしまう。自分たちの母語語で、高度な教育を受けることもできず、政治の話もできない。そして文化的にも衰退してしまう。
最後に目指すべき方向として、多くの非英語圏の国々が母国語で語り合い、独自の文化が栄えて共存していく社会だと述べている。高い理想ではあるが、共感できる。資本主義である以上、格差があるのは当たり前だと思うが、一部の国が圧倒的に有利な環境でしか勝負ができなくなっていることに賛成できない。
今回は言語の分野の話であったが、今の世界は先進国が有利なように制度をつくり、巧みに優位を保つ構造になっているのだろう。今の世界を覆う多くの問題はこれに根差しているのではないか?先進国の住人(恩恵を受けている側)として、難しい問題である。